2014年8月15日金曜日

週末記 ~自宴

(オチを思い出したので追記しました)

またのらりくらりと、関係ないことを。

この画像は新しいシングルグラスアイの背景画像です。
左は、ハートフィルタや星フィルタで遊んだ時のを数枚合成したもの。
中央は顕微鏡写真ぽいのとデニム生地っぽい画像を合成したもの。
右は木の断面と葉っぱのスタンプ。
いままで使っていた紙を使い切ってしまったので、台紙が無いサイズからカラー台紙に変わってゆきます。
(自作)自宴というのは親族の集まりを自作しているので、自分の中で出来た言葉です。
どういう説明をすればいいか見当つかないんですが、数人から「サマーウォーズだね」と言われたのでサマーウォーズなんでしょう。

・・・私は家族や親戚の中では突然変異?なのか、家族ですらガラスの作品や粘土作品やイラストなんか見せても「自分が作った」と言わない限り理解されないようです。

マァ 直接作品を見てくれる人が近くにいるだけで、人間として温かく感じるものです。
そんなだったのですが、今日親族の数人に作品を見せたら、とても褒めてもらえて嬉しい以上に驚いてしまいました。
真剣に見てくれる人が、近くにいるんだなぁ って。

いや だから それで どうしたんだ。 オイ、なんだけどさ。


オチを思いついて書き始めたのに忘れてしまった

(オチを思い出したので書き足しました ↓)

作品の価値ってのは、作り出した人が、まず認めてやらねばなりません。
誰かのために作ったものだったとしても、誰のためでもない作品だとしても、生み出した人が愛してやらなきゃいけないと思います。

発表した瞬間から、または自分以外の手に渡ったときから、他者からの価値が生まれます。
作品はそのとき、自分の価値にふさわしい装いで送り出されるのが理想でしょう。
 また、作品はふさわしい人のところへ行くさだめがあるようにも感じます。
ちょっとたとえが違いますが、ランクの高い鑑定付きダイヤにしか目に入らない人もいれば、緻密な細工と彫りの素晴らしい象牙のほうが価値があるという人もいます。
大雑把にいえば「好み」なんでしょう。

作り手にとって、作品が「好き」な人に愛されるのは幸せなことです。


・・・というのを、私の作品を興味深く見てくれた伯母から改めて教わりました。


はらへった


画像はユノアフェイスの最初の頃の予定図。
このカタチの唇にしたい!!!!! と強く想いましたが、(造形力の無さから)今は逆にこの唇の形状を活かしきれていない、足を引っ張ってるんじゃないかとひっかかりを感じます。
少なくともこの画像の方向から反れてきてる。
はらへった。
何か食べたい。

アー タブレットはいまだに接続しただけで動作確認すら済んでません。

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